Abstract
富山市の近代化に向けたまちづくりをレジリエンスの観点から俯瞰すると、大きく分けて三つのステージがある。第1ステージは、明治30年から昭和13年頃にかけての神通川の治水対策と路面電車など交通インフラの整備である。第2ステージは、昭和20年から昭和30年頃にかけての戦災復興都市計画や復興のシンボルとなる施設の整備である。第3ステージは、平成16年から令和2年にかけての人口減少と少子・超高齢化対策としての「公共交通を軸とした拠点集中型のコンパクトなまちづくり」である。令和2年に路面電車南北接続が実現し、明治41年の富山駅開業により南北に分断されてきた市街地の一体化が図られ、市民百年の夢が実現した。現在のまちづくりは、第1、第2ステージのまちづくりに支えられて実現したが、その背景には、傑出したリーダーたちの存在があった。